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末期がん患者の延命治療

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 IZA(産経新聞)に『末期がん 「余命3週間」患者の意思あれば延命中止も』という記事を見つけました。私の母はがんで亡くなってますので、ちょっと気になる記事です。

母は内臓全体にがんが転移し、がんによる多臓器不全で亡くなりました。がんの転移が判り、手の打ちようがないとわかったとき、兄弟が集まって話をし、抗ガン剤の投与を止めてもらいました。それでなくてもやせ衰えていくのに、抗ガン剤の副作用で髪の毛がどんどん抜けていく様を見たくなかったからです。亡くなる一週間前くらいまでは意識がしっかりしていたと記憶しています。

 一方、父は脳梗塞を患い、亡くなる1年半前から意識がなくなり、病院のベッドに寝たきりの状況でした。そのとき、医者に治療方針を問われたのですが、答えに窮しました。「容態が急変したとき、人工呼吸器をつけますか?」と聞かれるんです。医者は「多分一度(人工呼吸器を)つけたら、もう二度とはずすことはありません」とも言います。意識が戻ることはないということは判っていても、薄目をあけて私たちの動きを目で追っている父に対して、どうしても積極的に延命拒否をと言うことはできませんでした。
 結局兄弟のうち誰かが到着するまでは、最低限の延命治療をしてもらうようにと言ったのですが、担当医は「する/しない」のいずれかに決めてほしいような感じでした。

 翻って自分はどうしたいのかと考えると、やっぱり延命拒否を選択するつもりです。両親のときと違うんですね。身内、特に親が死ぬのは1分1秒でも遅いほうがいい。でもそれが原因で苦しむことも耐えられない。この矛盾する二つの感情にどのように折り合いをつけるべきなのか。答えは未だに出ていないです。

 記事にある末期がん「余命3週間」である患者に対して延命治療を中止することは、頭では判るんです。最後のほうは、痛みを抑えるだけでも大変ですから、苦痛を味わらせるだけの延命治療なんて意味がない。でも身内の立場だと1分1秒でも長く生きて欲しいと思う気持ちになるのも当たり前なんです。

 医療現場として、このような指針が出れば、刑事責任を問われる危険性を回避できることもあり、いいことなんだと思います。ただ、それを決めるのと同時に、終末医療についての啓蒙活動が必要なんじゃないでしょうか。それがなければ、指針に納得できない家族からクレームを受けることは減らないのではないかと。

 記事では『がん患者への病名告知率は平均で65・7%、余命告知率は29・9%で、延命処置希望確認は53・9%にとどまっていた』とあります。ここにある数字がもっと大きくならないと、いつまでもトラブルが起き続けるような気がしてなりません。

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2007年06月07日 02:05に投稿されたエントリーのページです。

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