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情報の中立性

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 ITMediaにこんな記事がありました。タイトルは『「Wikipediaの書き換えに報酬」は是か非か?』。Wikipedia は基本的にボランティアによって情報が管理されています。ある項目に情報を書く(=記事を書く)ことに対して報酬を得るというのは普通の感覚で言えばおかしいと思うのが普通です。
 なんでおかしいと思うのか。それは報酬を得ることでバイアスがかかった記事になってしまう。そのバイアスがかかった記事で不当に利益を得るもしくは不当に不利益を被るものが出てしまう。それは Wikipedia の精神=ボランティア精神にそぐわないと感じるからですよね。

 私たちが住んでいる現代はさまざまな情報が飛び交っています。そのなかには嘘もあれば真実もあります。またある事実を誇張しているものもあります。その典型的なものは週刊誌や情報雑誌でしょう。
 例えば、ある飲食店が雑誌で取り上げられたとします。この場合、記者がその飲食店を見つけて、記事にしたと思う人が多いと思います。でも飲食店が雑誌社にお金を払って記事を掲載してもらっている場合もあります。また、記者が「雑誌で取り上げるから、本を買って」などと報酬を求める場合もあります。飲食店が報酬を払えば、その飲食店に不利な記事は絶対に書かれないですよね。逆に取材する記者が悪意を持っていたら、ライバル店からなんらかの報酬をもらっていたら、その飲食店に不利なことを書かれるかも知れません。

 メディアの数が少ないときには、書かれた記事を鵜呑みにする人が多かったと思います。今はどうなんでしょう。テレビ・ラジオや新聞・雑誌に書かれたことを信じる人はまだまだ多いように思われます。これは古くからあるメディアは嘘を書かないという幻想にとらわれているんじゃないかと思います。その典型的な例が「あるある大事典」や「おもいっきりテレビ」ですね。これらの番組で取り上げられたものは、翌日には店頭からなくなることがよくあります。

 上に書いたものは極端な例かも知れません。が Wikipedia などのボランティアが記事を書く場合でも、書いている人が偏見を持っている可能性があるわけです。ある品物について書く場合、その品物が好きな人が書くのと嫌いな人が書くのでは内容は大きく変わってきますよね。そのような場合、好きな人の記事と嫌いな人の記事を併記しないと読む側としては間違った情報を取得する可能性が高くなります。

 そういう意味では情報の中立性というのはあり得ないんじゃないかと思います。ただ中立性を留保する努力を続けることが重要なんじゃないかと思います。コンサルタントの仕事をしている私が提供する情報は、極力良いことと悪いことの両方を示さないといけないですね。またそういう努力を続けていかないといけないなと。

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2007年01月27日 21:19に投稿されたエントリーのページです。

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