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2007年06月09日

体罰の是非

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 痛いニュースからの話題です。『「いじめ許さん」 児童全員を平手打ちの体罰 辞表の先生、保護者が慰留』というものなんですが、こういう話になると必ず「体罰は禁止」と何が何でも反対する人たちがあらわれます。

 じゃあ一体体罰って何だろうとウィキペディアで調べてみると、『体罰は、父母や教員などが、子供や生徒など自己の支配下にあると考えられる相手に対し、教育的な名目を持って、身体刑を加えることを指す。』とあります。ここでのキーワードは、1)父母や教員、2)教育的な名目そして3)身体刑というところですね。

 私が小学生の頃は、比較的おとなしい児童が多かったのか、あまり体罰を受けたことはありませんし、頻繁にあったということもなかったです。とはいえ、1回だけ平手打ちを受けたことがあります。そのときは掃除をさぼって遊んでいたところ、(男の)先生が飛んできて、遊んでいた私たちを1列に並べて、平手打ちをしたんです。私にとって初めての経験だったんですが、まあ殴られても仕方ないかなぁとも思ってました。

 この「殴られても仕方ない」という気持ちが大きいんじゃないかと思います。叱られるようなことをやっていたという自覚があるんですね。多分当時の子供はほとんど全員そう思っていたんじゃないでしょうか。

 私には子供がいませんので間違っているのかも知れませんが、今の子供はそのような自覚がないんじゃないだろうかと思わざるを得ません。自分のやっていることは悪いことと思わなければ、なんで叱られるかという理由が思い浮かばない。また親も条件反射で、うちの子だけが云々・・・と。

 体罰自体は明治時代から否定されていることですし、よっぽどのことがない限り、私も肯定するものではありません。が、敢えて体罰を行うことも必要なんじゃないかとも思います。この体罰、殴られるだけじゃないんですね。正座させたり、立たされたりすることも体罰の1つなんだとか。この後に、先生や両親がどれだけフォローできるかによって教育効果が違ってくるんだと思います。

 例えば、男親が平手打ちをしたとします。その後に、ぶったことは謝りつつも、ぶった理由をきちんと説明し納得させれば、子供も自分が悪かったと反省する可能性は高い。でもそういうことがなければ、ただ単に殴られたことだけが記憶されます。そうなると悪循環が始まることになります。

 今回の京都での事件(?)では、
 1)担任の先生がいじめを見つけた
 2)「次にいじめを見つけたら、児童全員を叩いて、先生も辞めると宣言
 3)ところが、その後にからかっているところを見つけた
 4)そこで、いじめられた児童を除いて、児童全員を叩いた
 5)担任は校長に報告し、校長は自宅謹慎処分に。また担任は辞表を提出した
 6)保護者のほぼ全員から辞職嘆願の署名が集まる
 7)謹慎が解けたときに、担任は児童全員に謝罪
 8)児童たちも泣きながら「私たちが悪かった」と謝った
という流れのようです。

 最後の児童たちが謝ったことが大切だと思います。なんで叱られたのか、叩かれたのかを子供たちが理解できれば、次に同じような悪さをすることはほとんどなくなります。教育というのは、子供たちに理解させることだというのが良くわかります。

 多分、この子供たちは何十年か後に同窓会を開くたびに、先生に叩かれたことを話題にすると思います。それは悪口でも嫌みでもなく、懐かしい「想い出」として語るんではないかと。

 記事の最後に
-------- 引用開始 --------

 教諭は採用4年目で、同小には今年度着任。校長によると、熱心でまじめな人柄で、子供のころに外見を理由にした嫌がらせを受けた経験があったという。

 引野恒司・同市教育長は「学校に理不尽な要求をする保護者も少なくない風潮なのに、教諭の行為を熱意ととらえ、署名運動まで起きるとは驚いている」とした上で、「体罰の事実は事実なので、子供や保護者の心情を受け止めた上で適正に処分はする」としている。

 河上亮一・日本教育大学院大学教授(教師論)の話 「教師として、職をかけてもやってはいけないことを示す覚悟も必要。児童や親にもその姿勢が伝わったのではないか。最近ではこういう先生はめずらしく、評価すべきだ」

 森毅・京都大名誉教授の話 「熱心だから体罰が許されるという話ではない。教師が体罰をするなら辞めるしかないと思うし、保護者らはそれを非難するにしても支持するにしても、もう少し学校と冷静に付き合う手だてがあるのでは」

-------- 引用終了 --------
とあります。
 痛いニュースでは森先生のコメントについて、非難するコメントがたくさん付いています。たしかに、字面だけを追えばそういう意見が出てくるのは当たり前のことです。でも裏読みすれば、校長や教頭という立場の人がもっとフォローすべきと言っているような気もします。

 とはいえ、叱るだけでは片手落ちですね。正しいことをしたとか、きちんとしたときには「褒める」ことが必要です。いつも褒めてくれる先生が、悪いことをやったときには叱る。「良いことは良い、悪いことは悪い」を子供たちに判らせる。また、叱るときには感情的にならない。

 これは子供たちだけでなく、人間みんなそう。上司として部下を持ったら、いつも心掛けなければならないことです。

2007年06月19日

e-黒板!?

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 ニュースからトラックバックされたブログを読んでいるうちに、こんな記事にぶつかりました。それがIZAの『欧米に遅れる教室IT化 e-黒板、導入進まず』という記事です。

 記事を読んでみると、教育現場のIT化が進んでいないことを指摘しています。そのなかで「e-黒板」なるものを紹介しています。記事では

 教室環境の点で注目されたのが、パソコンとプロジェクターを接続し、黒板にはり付けた電子情報ボードでパソコン画面やデジタルコンテンツ(情報の内容)を操作できる「e-黒板」(電子黒板)だ。9日には会場内で実際に生徒を対象に公開授業が繰り広げられた。

 e-黒板を活用すると、従来のパソコンを使った授業と異なり、教師は操作する都度、パソコンに移動することなく黒板の前に立ったままさまざまな操作ができ、生徒と向き合って授業ができる。また、記録・保持機能の活用で、何度でも振り返りの授業が可能になる。さまざまなデジタルコンテンツを活用した授業も展開できる。

 しかし、容易にみえそうなe-黒板の導入も、教育の現場で一向に進んでいない。文部科学省による「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」によると、2006年3月末段階で、インターネット接続可能な全国約3万8000校の小中高校で導入されているプロジェクターは約11万台、e-黒板に至ってはわずか約8000台というお寒い状況だ。

 この点、学校授業のIT化が定着している英国は、05年段階で初等学校で平均5台、中等学校が平均17台のプロジェクター、e-黒板が導入され、これを活用する教員も初等学校で69%、中等学校が42%とe-黒板の活用が広がっている。

となっており、e-黒板の導入状況を「お寒い状況」としています。

 確かに導入状況は芳しくないようですが、でも本当にe-黒板って重要なものなんでしょうか!?。教える立場として、教材に沿ったことだけを話すのであれば、便利なものだと思います。でも児童・生徒がそれだけで理解できるとは限りません。35人いる生徒全員にわかるような教材を準備できることもありません。そういう状況のもので、「お寒い状況」と言及するのは如何なものかと思うのです。

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2007年10月25日

全国学力・学習状況調査でどれだけのことがわかるのか?


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 産経新聞やIZAで大きく取り上げられている「全国学力・学習状況調査」の結果。この記事の中で心配になったことが『応用問題は6-7割の正答率 全国学力テスト』という記事。正答率6~7割というのが高いと見るのか低いと感じるのかなんとも言えないところではあるのですが、記事の内容からすると低いほうなんでしょうね。

 どこかの大学で、国語の補習をするというニュースを聞いたことがあるのですが(ググっても見つからなかった)、今の大学生は自分の主張を自らの言葉で言えない、書けないのが多いんです。これは
 1)語彙が少ない
 2)長文を書いたことがない/発表したことがない
 3)何を問われているのかがわかっていない
などが原因なのではないかと思います。レポートを書かせても、「結局何が言いたいの???」というのが目立つんですわ。
 その元凶・・・、とまでは言わないですが、今回の応用問題の正答率が悪かったことにつながっているんじゃないだろうかと。極論すれば、やはり「ゆとり教育」がおかしかったんだろうなと思います。ゆとり教育の主旨は問題ないんです。それが戦略や戦術になったときにおかしくなったと思うのですよ。
 応用問題を解くにあたって、一番大事なことは問題を理解することです。何を求めるのかが判らなければ、答えを導き出すことなんてできっこありません。だから頓珍漢な解答がでてくる訳です。

 今回の結果発表、『実施をめぐって「地域・学校間の競争激化や序列化を招く」との批判が出たため、文科省は成績の公表は都道府県別とし、各教委にも個別の市町村名や学校名を公表しないよう求めている。』と記事の最後にあります。この文章も「う~~~ん」と唸っちゃいました。競争がなければ進歩しないと思うんですが。確かに学校名まで必要か?と問われれば、「必要ない」と答えるかも知れませんが。
 社会に出れば、どこまでも競争です。学校にいるときから、「競争」に慣れていかなければいけないのでは?。それと、もっと理不尽なことを体験させないといけないんじゃないでしょうか。世の中が「不公平、不平等かつ理不尽」なことがいっぱいある。ところが学校ではそういうことに蓋をしているように思えてしかたがない。

 話がちょっと大きくなってしまいました。元に戻すと、小学校・中学校で一番やってほしいと思うことは、少しでも疑問があったら質問しなさい」ということです。その場では判ったふりをしても、テストではボロが出てしまいます。判らないことはなんら恥ずかしくない、判らないままにしていることが恥ずかしいことなんです。

 まあ、自分自身が学生だった頃を振り返ってみると、大きなことは言えないんですけどね。

2008年05月26日

小学生に英語・・・本当に必要なんでしょうかね?

 mixiのニュースに教育再生懇談会の話が出てました。そこで産経IZA時事通信社読売のHPを比較してみました。
 一番詳しく載っていたのが読売、産経と時事通信は同じぐらいでしょうか?。IZAが一番少なかったですね。でもIZAしかトラックバックできないんですよねぇ・・・・・(^^;。

 で、本題なんですが本当に小学生に英語教育って必要なんでしょうかね???。私は外国語を勉強するのであれば、母国語である日本語をきちんと勉強していない時期から始める必要はないと思っています。海外に住んでそこの言葉を勉強するのならいざ知らず、日本に住んでいて外国語を勉強するって結構難しい。だったら正しい日本語をきちんと話すようになってからのほうが、日本語も満足に話すことができない時期から勉強するよりも成果があると思うんですが。この分だと日本語も英語も中途半端になりそうな気がするんですよ。
 まあ、何才になれば、「満足に話す」ようになるのかと言われると返事のしようがないのですが、中学校でも遅すぎるとは思っていないんですよね。

 携帯電話の件については、まったく同意。メールやネットが使える必要はないんですからね。自宅でパソコンを操作するんだったら、家族の前でしか操作できないようにできますから。

 この懇談会の会長である安西先生、私が大学生のころは認知心理学の本を出されており、すごい先生だなぁと思っていたのですが、学長になってこんなところに顔を出しているとは・・・。


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2008年07月14日

誇れるものづくり大国なんですが・・・

 日経ビジネスオンラインに『ハンマー1本で、歴代新幹線の「顔」をつくる独自の「打ち出し加工技術」を持つ匠』という記事が。
 やはり日本の職人さんが作るものって本当にすごいですね。こういう人たちがいるってことは日本にとって世界に誇ることができるものだと思います。

 ただ、やはり気になるのが後継者問題。こういう職人芸ってマニュアル化できるものではないですし、技術を習得するにはかなりの年数が必要です。この記事で取り上げられた「山下工業所」も従業員35人の従業員の年齢分布が気になるところです。写真を見る限り、若干若い人がいるようなんですが。

 子供たちにこういうものづくりの現場を見せて、「面白い」と思わせることが必要なんでしょうね。金属を叩いていろんな形にしていくなんていうのは、その行程を自分の目で見ると感動しちゃいますよ。でもその両親がこういうものづくりをどういう風に見ているのかが気になります。やはりサラリーマンにさせたいと思っているんでしょうか。

 この会社は、新幹線の先頭を作っているというわかりやすいものがありますから、まだ説明しやすい。でも精密機器の部品を作っている会社などでは、自分たちが作っている製品を見せても、素人から見ると「どこが凄いのさ!?」としか思えないものを作っているところもありますからね。そこで技術のすごさを説明しても判ってくれないんですね。

 そういうことを考えると、自社の技術や製品を子供にきちんと教えることができるかというのが、課題になってくるのかも知れません。子供にとって凄い技術を持っていると言ってもわかりません。でも、説明する人が熱意をもっていれば、「なんかすごそうなんだ」と思う子供が出てくるんじゃないでしょうか。
 事業承継問題でも、自分の子供たちに、小さい頃から常日頃会社を見せているところのほうがいいと言われています。会社を継ぐのも、技術を継いでいくのも同じなんじゃないでしょうか。

 まあ、子供がいない私の考えですから、荒唐無稽な話なのかも知れませんが、小学校と連携してものづくりの現場をたくさん見せることができればいいのになぁと感じた記事でした。


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2009年01月28日

やっぱり指導は難しい

 今日も朝から指導員のお仕事です。
 最初電車で行こうと思っていたのですが、出発時刻を間違えていて車で行くことに。ところがこれがまた時間の読み間違えをしまして、30分以上早く着いてしまいました。帰りなんか40分ほどで自宅に戻ってしまいました。

 で、今日は個々の診断方針というか書く内容を発表してもらいました。私から見ると間違った方向に行きそうな人に説明していたのですが、その人が若干知識が不足しているためもあって、説明しても理解してくれません。理解できないのを通り越して混乱させてしまいました。結局メンバーの一人が説明してくれて、なんとかなりそうなのですが、何故私の説明だと混乱したんでしょう。
 考えるに私が期待している=これくらいは分かるだろうと勝手に思いこんでしまっているのと、相手の知識レベルが異なっていたというか、かなり差があったんだと思います。ところがメンバーはそれほど差がなかったんじゃなかったのかなと。

 相手も社会人ですからもう少し自分で勉強しててほしいと思うのは不謹慎でしょうかねぇ・・・。

2009年02月10日

平等?そんなバカな

 痛いニュースで『鳥取県の“平等”教育 「学級委員長は差別」「かけっこの順位は差別」「学芸会の主役は差別」 』というエントリーを見つけました。

 「えっ、うそ!」としか言いようのない記事ですよねぇ、これは。委員長を立てることがなんで差別になるんでしょうか。鳥取の教育委員会って何を考えていたんでしょうねぇ・・・。記事を読む限りでは、「指導」はしていたようなんですが。となると現場の教師が言うことを聞かなかったんですかね?。

 平等という意味をはき違えているし、「差別」という言葉が一人歩きしているようですね。機会(チャンス)はみんな平等にならなければいけませんが、結果が平等になるということはあり得ない。それに、社会に出れば、多かれ少なかれ差別的は言動はあります。また良くも悪くも競争社会ですから、結果がみんな同じになるはずがない。スタートラインは同じでも1年経てば、同期入社でも給料が違ってくることは当たり前。
 普通はそういうのを、テストの点数だとか、かけっことかで覚えていくはずなんですが、「かけっこの順位は差別」って・・・。噂ではそういう学校があると聞いたことがあるのですが、都市伝説なのかとも思っていたんですよねぇ。でも本当にあったんだ・・・。

 この20年の間に学校を卒業した鳥取出身の人って、すごい不幸な学校生活を送ってきたことになりますね。

2009年03月10日

石田先生がお亡くなりになられました

 今日はもうひとつエントリーアップ。

 私がC言語を勉強したのはちょうど大学の研究室にいたときで、Lispインタープリタを Unix clone マシンにインストールするためでした。当時は書籍があまりなくてバイブルとして「プログラミング言語C」という本しかありませんでした。これはカーニハン&リッチーが書いた本なんですが、翻訳は石田晴久先生でした。この本しかなかったですからね。そりゃもうたくさん売れたはずです。

 でその石田先生がお亡くなりになったというニュースを発見しました。それが『サイバー大IT総合学部長の石田晴久氏が逝去 ~ UNIXとC言語普及に貢献』というRBBTodayの記事です。直接お会いしたことはまったくなかったのですが、他にもunix関連の書籍を出されていまして当時プログラミングをやっていた人にとって知らない人はいないくらいの人でした。
 まあ一部では翻訳があまりうまくないというような批判もあったのですが、まあなにはともあれこの人がいなかったら日本でunixやC言語の発展はもう少し遅くなったのかも知れません。

 ご冥福をお祈りします。

2009年03月26日

大学教員も大変だ

 ちょっと気を抜くとすぐに書くのを忘れています。2・3年前は毎日忘れずに書いていたんですけどね。でも最後のほうは強迫観念に近いものがありましたから。

 年度末も近くなりまして、今日は私が教えている大学で非常勤講師会議(という名の説明会)がありました。来年度は試験日をのぞいて15回講義をしなくてはいけなくなりました。これって、実質的に休講をするなということです。夏休みの期間も短くなってしまいましたし。大学側に言わせると「土曜日に代講してくれ」とのこと。でも土曜日って意外とスケジュールが詰まるんですよね。来年度は確実に1回は授業日に別のスケジュールが入っていますので、どうしようかと。
 第一希望は水曜日の2コマ目だったんですが、木曜日の2コマ目になってたというのも休講をしなくてはいけない理由なんですけどね。

 学生も休めなくなって大変です。まあ、学生の本分は勉強ですから授業に出ないというのは根本的に間違っていると言われれば「はい、そうですね」としか言えないんですけどね。授業に出なくても自分なりに勉強して、最後の試験(レポートを含めて)にきちんと結果を出せる学生だったら、それもいいんじゃないかなぁとも思ってたりします。休みが多い学生にそんなやつはいないというのも事実なんですが。

 まあ講師としては、お金をもらっている以上(いや、別にもらってなくても教える立場である以上)休講はすべきではないのは判っています。だったら、もう少し早く授業予定を教えてくれないと。講師一本で食っていくことをしていない私に取っては、4月からの予定が決まらないというのは大問題なんですよね。
 それとシラバスの書き換えしなくちゃいけません。明日が締切なんですよねぇ。でもこういう変更はもっと早く言ってくれないと。
 という不満を会場で言えなかったことがよくないことですね。反省!!!

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