教育の最近のブログ記事

 佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)のtweet で知ったのですが、グルーポンのおせち料理でひどいトラブルになっているようです。痛いニュースでも取り上げられていて(このエントリーです)、あるブロガー(ネットのお話)が渦中にある(株)外食文化研究所の代表取締役である水口憲治氏にインタビュー(グルーポンまるで残飯なおせちの外食文化研究所水口社長にインタビューしてみました)しています。

 トラブル発生時の対応でより顧客との関係が強くなると思っているのですが、さすがに一連の対応はかなり問題があると言わざるを得ません。食品を扱っているのですから、『 キャンセルか不完全な状態でも配送か二つの選択で悩みましたが、 お客様との契約を優先として考え、商品が届く事がまず大事と判断しました。』(上記のエントリー)という判断は間違っていたんじゃないでしょうか。
 もともと販売数を100個に設定していたところが、反響がすごくて500個に増やしたそうです。この判断は間違っていないと思うのですが、製造体制が伴っていなかったように思われます。100個から500個と5倍になったのですから、料理素材やパック材料に加えて人員の増強が必要だったはずです。どうもそれが出来ていなかった。
 そういう状況になれば、普通であれば赤字覚悟で材料や人員を手配して、顧客からクレームが入らないようにするはず。でもここはそれをしなかったということです。

 これで、このお店(バードカフェ)のみならずグルーポン自体の信頼を損なうことになりました。水口氏は自身のブログで(株)外食文化研究所の代表取締役を引責辞任したとのことですが、それだけで済まないはずです。

 通販で取り寄せるものって、どうしても見本写真より見劣りするものが送られることがままあるのですが、今回のはひどすぎた。こうなる前にいろんな対応が考えられたはずです。ひょっとして現場でのトラブルを、この社長は理解できていなかったのでしょうか。氏のプロフィールが『飲食の戦士たち』に紹介されています。この記事を読む限りでは修羅場をくぐったようですが、どこかおごりがあったように思われてなりません。

 とはいえ、これはどの企業にもあり得ることです。この事件(?)を他山の石としてよく考えなくてはいけません。
 推測になってしまうのですが、このようなトラブルは往々にして、下からの連絡が上に届かなかったことに因ることが多いんです。今回の場合、1例として3×3の仕切りが少なくて2×2のしきりになってしまったようですが、足りないことは注文数を増やした時点で判ることです。そこできちんと手配していれば、そんなことは起きる訳がない。万が一業者との連絡がうまくできてなくて、注文数に達しないようであれば、別の業者に渡りをつけるなどの方策があるはずです。そういう対応してなかったとしか言いようがない。
 ひょっとして、現場で勝手に3×3を2×2にすればいいと判断したのでしょうか?。
 現場の1担当者から、直属の上司に数が足りないことを報告する。その上司では確保できなければ、もっと上に連絡して、どのような方法をとってでも確保するというのが普通のやり方じゃないでしょうか。
 トラブルが発生しそうだと思われた時点ですぐさま上司に報告する。これができていないということは、「報・連・相」という従業員教育の基本が全くできてないということになります。

 ぐだぐだ長く書いてしまいました。上にも書きましたが、これを「他山の石」として、自分の身に降りかからないようにしなくてはいけませんね。

 大学の授業、昨日採点して今日教務課に提出してきました。
 今年の学生はレポートの提出が昨年までと比較してかなり少ないです。あれほど授業中に口酸っぱく「提出すれば、試験が出来なくても単位はほぼ大丈夫」と言っているにも関わらず出さない。レポートが未提出だから試験にも来ない。

 私の授業、15回の授業の中で2回レポートを提出させます。この2通が提出されていれば、ほぼ間違いなく60点を与えます。つまり試験が0点だったとしても単位は取れます。私としては、試験一発勝負よりもかなり親切だと思っているんですが、学生から見ると面倒だと思っているんでしょうか。

 授業の1回目にそのあたりはきちんと説明していますし、途中でも言っているんですけどねぇ。
 未提出の学生の中に運動部所属がいます。彼・彼女らは試合中にもあきらめてしまうんでしょうか?。私は学生時代軟式テニス(今はソフトテニスというのかな)をやっていたんですが、いくら相手が強くても、劣勢でもなんとか1ポイントずつ返していこうと思って試合をしていたと記憶しています。

 なんだかさみしい気がした2009年前期の授業総括でした。

 なんか殺伐とした世の中になってるんだなぁと思った、産経の記事です。『担任教諭が6年児童に「一回死ぬか」 山口・周南』というものなんですが、どうも一方的に先生が悪いような印象を植え付けようとしているんでしょうか!?。

 流れをみると
  1)給食後、教諭が目を閉じて座っていた
  2)男児が起こそうとして軽くほおをたたいた
  3)教諭は「何をするか」と男児の肩を小突いた
  4)(男児に)さらにほおを平手打ちされ(教諭が)激高
  5)(教諭が)追い掛けて右手をけり
  6)(教諭が)(男児の)胸ぐらをつかんで暴言を吐いた
ということになります。激高したことは大人げないし、(感情にまかせたように見える)右手を蹴るのも問題行動だと思います。でもなんで激高したかというと、男児の行動に原因がありますよね。
 先生に対して「軽くほほをたたく」ことなんて、私には考えられないんですが。「先生、起きて」と言えばいいだけですよ。その男児は教師を尊敬していないからそういう行動に出たんじゃないかと。相手を小馬鹿にしているから、他人を起こすために「軽くほほをたたいた」としか思えない。

 この男児の親は先生の謝罪に対してどういう対応をしたんでしょうか。普通に考えれば、親として男児のとった行動に対して謝り、子供を叱ると思うんですが。新聞沙汰になったということを考えれば、両親は先生に対して謝っていないのかも知れません。

 なんでこういう世の中になってきたんでしょうか。私は「相手を敬う心」がなくなってきたからじゃないかと思っています。相手の年齢、性別に関係なく「敬う」ことは、生きていく上でのある種の潤滑剤ではないかとも思います。その潤滑油がなくなってきたことが、殺伐とした世の中になってきた大きな原因の1つじゃないでしょうか。

 産経新聞(IZA)に『日本の大学は多すぎる? 増える「ナゾの学部」』という記事を見つけました。その書き出しが

 「最高学府」であるべき大学が危機に直面している。現在、国公私立の4年制大学は全国で約760校。希望すれば誰でも大学に入学できるという「大学全入時代」にもかかわらず、約半分の私立大が定員割れを起こしており、飽和状態に陥っている。学生数を確保しようと焦るあまり、各大学が"一芸入試"レベルのAO入試を導入したり、ユニーク学部を相継いで新設したりした結果、一定の学力レベルさえない学生も「大学生」になってしまった。「算数レベルの学力さえない...」「まともな日本語すら書けない...」。そんな大学の叫びが聞こえてくる一方、ずさんな学部・学科を増やし続けた揚げ句、大学自体の質さえ保てない状況だ。一体、大学はどうなってしまうのか。

とあります。

 でも大学ばかり責められるとちょっと反論したくなります。私の感覚では毎年学生の質が落ちている気がしてなりません。「算数レベルの学力さえない」「まともな日本語すら書けない」というのは大学のせいではないはずです。これはそれまでの教育に問題ありとしか言いようがない。
 一般的には「ゆとり教育」が悪者にされています。私も悪者だと思っていますけど、それだけじゃないとも思います。今の学生から言われるのが「先生、答えはなんですか?」です。なんでそういうことを聞くのか。それは高校までの教育で「答えは1つ」しかないと思いこんでいるからです。また答えを見いだすプロセスを無視した教育をしているからじゃないでしょうか。
 大学入試を頂点とする入試問題は正解は1つしかありません。また、詳しく教えているヒマがないから、解法のみを教えてそのプロセスを教えない。そんな教育をされていたんじゃねぇ。
 私が出すレポートの課題、答えが1つではありません。これはわざとそうしています。与件をわざと少なくして、考えるプロセスを認識してもらいたいからです。だから第1回目の授業の時にそのことを説明します。
 大学で教え始めたころは、そんなこと当たり前だと思っていたもんですから、学生から提出されたレポートを読んで愕然としました。最初はうちの大学に入ってくる生徒のレベルが低いのかと思ったのですが、いえいえ他の大学の先生からも同じようなことを聞きました。また近くの高専では数学の補習をせざるを得ない状況にあるとも伺っています。
 なんでそんな状況になってしまったのか!?。高校まででそういうことを教えていない、経験していないからだと思います。これは学校だけの問題ではなくて、親や地域の問題でもあります。

 マスコミは批判する相手を絞り込むことがよくあります。この記事だって、大学が一方的に悪いような書き方です。全く悪くないとは言いません。でも世の中の出来事って、いろんな要因が複雑にからんでいるのも事実。そういう側面も書いて欲しいと思うのは贅沢ですか?

 ちょっと気を抜くとすぐに書くのを忘れています。2・3年前は毎日忘れずに書いていたんですけどね。でも最後のほうは強迫観念に近いものがありましたから。

 年度末も近くなりまして、今日は私が教えている大学で非常勤講師会議(という名の説明会)がありました。来年度は試験日をのぞいて15回講義をしなくてはいけなくなりました。これって、実質的に休講をするなということです。夏休みの期間も短くなってしまいましたし。大学側に言わせると「土曜日に代講してくれ」とのこと。でも土曜日って意外とスケジュールが詰まるんですよね。来年度は確実に1回は授業日に別のスケジュールが入っていますので、どうしようかと。
 第一希望は水曜日の2コマ目だったんですが、木曜日の2コマ目になってたというのも休講をしなくてはいけない理由なんですけどね。

 学生も休めなくなって大変です。まあ、学生の本分は勉強ですから授業に出ないというのは根本的に間違っていると言われれば「はい、そうですね」としか言えないんですけどね。授業に出なくても自分なりに勉強して、最後の試験(レポートを含めて)にきちんと結果を出せる学生だったら、それもいいんじゃないかなぁとも思ってたりします。休みが多い学生にそんなやつはいないというのも事実なんですが。

 まあ講師としては、お金をもらっている以上(いや、別にもらってなくても教える立場である以上)休講はすべきではないのは判っています。だったら、もう少し早く授業予定を教えてくれないと。講師一本で食っていくことをしていない私に取っては、4月からの予定が決まらないというのは大問題なんですよね。
 それとシラバスの書き換えしなくちゃいけません。明日が締切なんですよねぇ。でもこういう変更はもっと早く言ってくれないと。
 という不満を会場で言えなかったことがよくないことですね。反省!!!

 今日はもうひとつエントリーアップ。

 私がC言語を勉強したのはちょうど大学の研究室にいたときで、Lispインタープリタを Unix clone マシンにインストールするためでした。当時は書籍があまりなくてバイブルとして「プログラミング言語C」という本しかありませんでした。これはカーニハン&リッチーが書いた本なんですが、翻訳は石田晴久先生でした。この本しかなかったですからね。そりゃもうたくさん売れたはずです。

 でその石田先生がお亡くなりになったというニュースを発見しました。それが『サイバー大IT総合学部長の石田晴久氏が逝去 ~ UNIXとC言語普及に貢献』というRBBTodayの記事です。直接お会いしたことはまったくなかったのですが、他にもunix関連の書籍を出されていまして当時プログラミングをやっていた人にとって知らない人はいないくらいの人でした。
 まあ一部では翻訳があまりうまくないというような批判もあったのですが、まあなにはともあれこの人がいなかったら日本でunixやC言語の発展はもう少し遅くなったのかも知れません。

 ご冥福をお祈りします。

 痛いニュースで『鳥取県の“平等”教育 「学級委員長は差別」「かけっこの順位は差別」「学芸会の主役は差別」 』というエントリーを見つけました。

 「えっ、うそ!」としか言いようのない記事ですよねぇ、これは。委員長を立てることがなんで差別になるんでしょうか。鳥取の教育委員会って何を考えていたんでしょうねぇ・・・。記事を読む限りでは、「指導」はしていたようなんですが。となると現場の教師が言うことを聞かなかったんですかね?。

 平等という意味をはき違えているし、「差別」という言葉が一人歩きしているようですね。機会(チャンス)はみんな平等にならなければいけませんが、結果が平等になるということはあり得ない。それに、社会に出れば、多かれ少なかれ差別的は言動はあります。また良くも悪くも競争社会ですから、結果がみんな同じになるはずがない。スタートラインは同じでも1年経てば、同期入社でも給料が違ってくることは当たり前。
 普通はそういうのを、テストの点数だとか、かけっことかで覚えていくはずなんですが、「かけっこの順位は差別」って・・・。噂ではそういう学校があると聞いたことがあるのですが、都市伝説なのかとも思っていたんですよねぇ。でも本当にあったんだ・・・。

 この20年の間に学校を卒業した鳥取出身の人って、すごい不幸な学校生活を送ってきたことになりますね。

 今日も朝から指導員のお仕事です。
 最初電車で行こうと思っていたのですが、出発時刻を間違えていて車で行くことに。ところがこれがまた時間の読み間違えをしまして、30分以上早く着いてしまいました。帰りなんか40分ほどで自宅に戻ってしまいました。

 で、今日は個々の診断方針というか書く内容を発表してもらいました。私から見ると間違った方向に行きそうな人に説明していたのですが、その人が若干知識が不足しているためもあって、説明しても理解してくれません。理解できないのを通り越して混乱させてしまいました。結局メンバーの一人が説明してくれて、なんとかなりそうなのですが、何故私の説明だと混乱したんでしょう。
 考えるに私が期待している=これくらいは分かるだろうと勝手に思いこんでしまっているのと、相手の知識レベルが異なっていたというか、かなり差があったんだと思います。ところがメンバーはそれほど差がなかったんじゃなかったのかなと。

 相手も社会人ですからもう少し自分で勉強しててほしいと思うのは不謹慎でしょうかねぇ・・・。

 日経ビジネスオンラインに『ハンマー1本で、歴代新幹線の「顔」をつくる独自の「打ち出し加工技術」を持つ匠』という記事が。
 やはり日本の職人さんが作るものって本当にすごいですね。こういう人たちがいるってことは日本にとって世界に誇ることができるものだと思います。

 ただ、やはり気になるのが後継者問題。こういう職人芸ってマニュアル化できるものではないですし、技術を習得するにはかなりの年数が必要です。この記事で取り上げられた「山下工業所」も従業員35人の従業員の年齢分布が気になるところです。写真を見る限り、若干若い人がいるようなんですが。

 子供たちにこういうものづくりの現場を見せて、「面白い」と思わせることが必要なんでしょうね。金属を叩いていろんな形にしていくなんていうのは、その行程を自分の目で見ると感動しちゃいますよ。でもその両親がこういうものづくりをどういう風に見ているのかが気になります。やはりサラリーマンにさせたいと思っているんでしょうか。

 この会社は、新幹線の先頭を作っているというわかりやすいものがありますから、まだ説明しやすい。でも精密機器の部品を作っている会社などでは、自分たちが作っている製品を見せても、素人から見ると「どこが凄いのさ!?」としか思えないものを作っているところもありますからね。そこで技術のすごさを説明しても判ってくれないんですね。

 そういうことを考えると、自社の技術や製品を子供にきちんと教えることができるかというのが、課題になってくるのかも知れません。子供にとって凄い技術を持っていると言ってもわかりません。でも、説明する人が熱意をもっていれば、「なんかすごそうなんだ」と思う子供が出てくるんじゃないでしょうか。
 事業承継問題でも、自分の子供たちに、小さい頃から常日頃会社を見せているところのほうがいいと言われています。会社を継ぐのも、技術を継いでいくのも同じなんじゃないでしょうか。

 まあ、子供がいない私の考えですから、荒唐無稽な話なのかも知れませんが、小学校と連携してものづくりの現場をたくさん見せることができればいいのになぁと感じた記事でした。


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 mixiのニュースに教育再生懇談会の話が出てました。そこで産経IZA時事通信社読売のHPを比較してみました。
 一番詳しく載っていたのが読売、産経と時事通信は同じぐらいでしょうか?。IZAが一番少なかったですね。でもIZAしかトラックバックできないんですよねぇ・・・・・(^^;。

 で、本題なんですが本当に小学生に英語教育って必要なんでしょうかね???。私は外国語を勉強するのであれば、母国語である日本語をきちんと勉強していない時期から始める必要はないと思っています。海外に住んでそこの言葉を勉強するのならいざ知らず、日本に住んでいて外国語を勉強するって結構難しい。だったら正しい日本語をきちんと話すようになってからのほうが、日本語も満足に話すことができない時期から勉強するよりも成果があると思うんですが。この分だと日本語も英語も中途半端になりそうな気がするんですよ。
 まあ、何才になれば、「満足に話す」ようになるのかと言われると返事のしようがないのですが、中学校でも遅すぎるとは思っていないんですよね。

 携帯電話の件については、まったく同意。メールやネットが使える必要はないんですからね。自宅でパソコンを操作するんだったら、家族の前でしか操作できないようにできますから。

 この懇談会の会長である安西先生、私が大学生のころは認知心理学の本を出されており、すごい先生だなぁと思っていたのですが、学長になってこんなところに顔を出しているとは・・・。


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