たまたま、Twitterで(1対1で)ちょっとした論争???になっています。さすがに Twitter の140文字では書ききれないので、このブログを使って説明というか自説を述べたいと思います。
発端は、『かなもじ、またはローマ字の本を出版すれば、そこから電子化の革命が始まる可能性があると思う。 漢字廃止によって、日本語の革命を。』という Tweet に私が(ちょっと感情的なフレーズを入れてしまったのですが)『表音文字だけの文章では、意味が通じないことがどうして判らないんだろう。またもや漢字廃止論者の戯言が』と返したことから始まります。まあ、戯言というのはちょっと言い過ぎたなとも思っていますけどね。
日本語というのは、漢字、ひらがなとカタカナで成り立っています。漢字は1文字自体で意味がある「表意文字」でひらがなとカタカナは1文字では意味がない「表音文字」です。ひらがな(カタカナも)は50文字だけですが、漢字は何万とあって、覚えるのが大変だということで、戦後GHQやら一部の学者から漢字不用論が出されたと記憶しています。でも未だに漢字と仮名を使っているのは何故なんでしょう。
私は、漢字があるからこそ文章を一読して意味が通じやすいからだと思っています。ひらがなばかりの文章をぱっと見ただけで、そこに書いてある内容が判るでしょうか。判るという人もいるかも知れませんが、かなり難しいんじゃないでしょうか。「分かち書きすれば大丈夫」と言っている人もいるんですが、例えば「いった」と書かれていたとき、それが「言った」なのか「行った」なのかすぐに判るでしょうか。もう一つ例を挙げてみましょう。「かれは どうじょう した」という文、これだけを読んだとき、どういう意味か判りますか。「彼は同乗した」のか「彼は同情した」のかどっちなんでしょう。
文脈を理解すれば、仮名だけでも理解は出来ると言われるかも知れません。ところが文脈を理解するためには繰り返し仮名文を読み返さなくてはいけないことが出るでしょう。ところが、「言った」と書いてあれば、普通の教育を受けた日本人であればすぐさま理解できるはずです。
仮名やハングルというのは、同音異義語に対して非常に貧弱かつ弱いんです。漢字を使わなくなったお隣の国では、意味を取り違えることが多くなったとも、古文書を読むことが出来なくなってしまっているとも言われています(このことに関してのソースはインターネットだけですので、根拠としては弱いです。でも私にとっては十分納得できる事例です)。
では表音文字しか使っていない英語、フランス語、ドイツ語などはどうなのか。例えば英語はアルファベット26文字だけで、文章が出来ます。だったら日本語も仮名だけで十分じゃないかと言われるかも知れません。でも英語は「単語」というものが文章の基本になっています。そこが違うんです。例えば、"This is a pen." という文章は this、is、a、pen の4つの単語から出来ています。この this というのはこれ以上分けることが出来ません。 英語を母国語としている人はthis という単語をアルファベット1文字ずつ認識して this という単語を作り上げるのではなく、this という単語自体をパターン認識して(極論すれば1単語を絵みたいなものとして)意味を理解しています(つまり単語に意味がある)。
ところが日本語は文字が単位となっており、どこで文末がどの文字であっても(まあ、禁則文字というのもありますが)分けることが可能な言語です。文字と単語、この違いは非常に大きい。漢字は単語じゃないのかと言う人がいるかも知れませんが、日本語としての漢字は、1文字でも意味がありますから、単語じゃないんです。
日本語は漢字と仮名の両方を使うことを前提にした言語です。だから同音異義語が多い。例えば「とった」というのは「取った」、「撮った」、「獲った」、「採った」、「捕った」、「執った」、「盗った」、まだまだあるのですが、私がすぐさま思い浮かべるだけでこれくらいは挙がります。上で使った「どうじょう」という言葉は、「同情」、「同乗」、「同上」、「道場」・・・。
漢字を使って書くから意味が簡単に理解できるんですよ。このことを理解しないで、簡単に「漢字なんか要らない」と言う人のことは、私は理解できません。
ここの議論の中では視覚障害者のことは考えに入っていません。確かに視覚障害者の人たちにとって漢字を使ったコミュニケーションは出来ません。だから「その人たちのことを考えて、仮名だけにしなさい」と言われたとしたら反論しづらいです。でも現実に漢字が存在し、漢字かな交じり文を使っている人たちが多いことも間違いない。極論を言うと、一部の人たちのために多数の人たちが不便を被るというのは、ちょっとおかしいのじゃないかと思うのです。視覚障害者の人たちを蔑ろにすることはよくないことでしょうが、それが現実というものなんです。
今回、「戯言」と書いたのは、私の間違いでこれは謝らなければなりません。でももう少し論理的に考えてくれると、嬉しいんですけどねぇ。
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