ひさびさに池田さんのblogを読んでの感想というか・・・。氏のブログに『経済危機は9つの顔を持つ』と、『技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか』というエントリーがあります。
この本文とコメントを読んでどうも「ものづくり」という概念というかイメージにおいて、池田さんが抱いているものと私のそれでは定義が違うじゃないかと確信しているのですが、その違いがよく分からないものだから、ずっと悩んでいました。
最近すこし判ってきたことがあります。私がイメージするのはものをつくるための技術で、池田さんの言っているのはもう少し大きな概念なんじゃないかと。だから「水平分業」や「匠の技ではだめ」というフレーズが出てくるんだろうと。
例えば、1cm角の立方体があるとします。この精度として1mmオーダーで合っていればいいんだけれど、日本人はμmオーダーまで精度を出してそれを技術と呼んで、それを誇っている。ものすごくオーバースペックなわけです。またμmオーダーを作るためにはいわゆる「職人技」が必要で、大量生産することができないし、価格を抑えることができない。ところが職人ではなくて、普通の人でもmmオーダーのものが作れるのであれば、低価格で大量生産が可能になります。
顧客がmmオーダーの精度しか求めていないところにオーバースペックな製品を提供しても評価はされません。お客が求めるものを適正な価格で提供するための仕組みをきちんと作ることが重要なわけです。
そういう意味では、日本の製造業は未だに生産者の論理でものを作っているということになります。そうではなくて消費者の立場でものを作る必要なんだということをもっともっと理解してものをつくるべきなんだと。
とは言いながらも、私の心情としては日本はもっと製造業に傾注すべきだと思っています。ソフトやノウハウだけを売るというのはうまみが少ないような気がしてなりません。製造部門を持つことが足かせになる可能性があることは否定できませんが、それがメリットになることも多いんじゃないかと感じているからです。
とはいえ、必要は発明の母とも言いますから、ユーザー視点が欠けている製品はいくら作っても意味がない。いままでの日本人が常識と思っている偏った技術指向を正すことで、今後も日本のものづくりの火を絶やさないことができるんじゃないかと。
ふにふに。製品を作るということは、製品を通して、使う人を「おもてなし」ているのです。1/4インチのドリルを作る場合に、「お客様は1/4インチの穴が欲しいのだ」と考えるのが、「昔の」製造業でした(セオドア・レビット 1950年代?)
確かに、「1/4インチの穴が欲しい」のなら、それでいいと思います。日本の製造業は必要なくなるかもしれない。。。。間違いなく外国で作ったほうが安いでしょう。日本にはμmオーダーを作るための工作機械や職人さんしかいませんから。。。
でも、穴フェチでもない限り、1/4インチの穴は何かの用途のためにあけるのです。何らかの製造ラインで使われることもあるでしょう。日曜大工で使われるかもしれません。ネジの下穴かもしれません。そして、軸を嵌合させるかもしれません。
そうやって、お客様が利用されるシチュエーションをデザインし、設計し、製造することで「おもてなし」を提供するのです。
ドリルの場合は当然「安全」が第一です。そのためには、何より切れ味が要求されます。切れない刃物は凶器です。切れ味をあげるためには、μmオーダーで加工されたものに、職人技の研磨があって初めて「切れる刃物」ができあがります。
「痛くない注射針」が良い例だと思います。「注射は痛いものだけど、健康なためにはしょうがない」という発想ではとても作れません。
日本の製造業の弱体化は「低価格」に付いていけないからではなくて、「おもてなしの心」を忘れているからだと思っています。
日本製品は「安くて品質が良い」から売れてきました。でも、「安くてそこそこ」の製品は、実は日本の製造業の得意分野ではないのです。
今は? もともとの「ものづくり」を忘れてしまっていると思います。もしも。今後。日本の製造業が「おもてなし」の心を持って、「ものづくり」を思い出せば、、、、、
現場では大変ですけどね。。。。。。ん?でしたかな???
もきちさん、こめんとどもです。
そう、使う人のことをおもんばかることってものすごく重要ですね。それが差別化であり、国際競争力につながるはずです。
ものづくりの原点まで戻る必要があるかも知れませんね。