ITMediaで『確かに"読めてしまう"コピペに2ch住人が「人間すげー」と驚く』という記事がある。2chにひらがなだけで書かれているレスに対しての反応を取り上げているのですが、その引用文を読むと確かに読める!!。だから誤植が減らないんだというトラックバックには「確かに」と思いました。
最初に読んだ時にはトラックバックを辿って、日本語に漢字は要らないと主張している人のページに飛んだのですが、それが見つからない。
戦後すぐには日本語を全部ローマ字にしろという運動があったと記憶していますし、ひらがなだけにしようという運動があるのは知っています。でも表音文字であるひらがなだけで日本語の豊かな言い回しを表現できるかというと・・・、無理なんじゃないかと思います。分かち書きをすることで多少読みやすくなるのですが(「ぼんやりと考えたこと」の『読みにくいのは誰か』など)、それでも同音異義語の問題は解決しません。
いい例でないのかもしれませんが、お隣の韓国は漢字の使用を否定し、名前以外を全てハングルで表現しています。この国における問題を見てみれば、漢字の使用を否定することはあり得ないと思うのですが。
でも、漢字を使いたくても使うことが非常に難しい人がいます。それが視覚障害者の人たち。私もリンクを辿るまではそういうことがまったく思い浮かびませんでした。それが「あべ・やすしのページ」の『漢字という障害』というページを見て、あっ確かにそうだよなぁと思いました。だからといって、漢字を使うなとは思いませんけどね。ハンディキャップを持つ人たちに対して最大限の敬意を払うことは重要だと思いますけど、だからといって漢字を使わないことによるデメリットを甘んじて受けようとは思わない。
人間って文章を読むときには次に現れるであろう言葉を予測しますし、漢字などを含めた「語句」をパターン認識を行って素早く読もうとしています(と聞いたことがあると言ったほうがいいのかもしれませんけど)。そういう時に漢字かな交じり文だと切れ目が予測しやすく、パターン認識がより早くなります。ひらがなの分かち書きをすれば、そのパターン認識も早くなるからいいじゃないかとも言われそうなんですが、問題は同音異義語。同じ読み(ひらがな)でも漢字は異なります。漢字には意味があり、その情報量はひらがなと比較してとてつもなく多い。例えば「あらわす」という言葉、漢字だと「表す」、「現す」、「著す」、「顕す」などが出てきます(ATOKですけどね)。前後の文脈からどの漢字の意味を用いているかは分からないでもないのですが、漢字を見れば一目瞭然。
穿った見方になるとは思いますが、日本語は長い時間を掛けて漢字かな交じり文というものになり、それで生活してきたんです。それを覆すにはそれ以上のメリットがなければ、漢字不使用という状況にはならないと思います。日本が戦争で負けて、強制的に日本語の使用を禁止されない限りは。
上に挙げたブログ「ぼんやりと考えたこと」のエントリーの最後に「横断歩道の信号が変わったときに大きな音で音楽を鳴らすのは、正直いって、うるさいだけだからやめてほしい。そう言っているのと何が違うのだろうか。(原文はひらがなの分かち書き。読みづらいので漢字にしています)」とあります。このことから、漢字を使うなという論理になるのはちょっと飛躍しすぎなんじゃないでしょうか。
さて、この「読めてしまう」ひらがなの文章ですが、これは分かち書きをしていることが大きく影響しているのだと思います。分かち書きをすることで使っている単語が明確になる。それと人間は次にどんな単語やフレーズが来るかを予測しながら読んでいることが多いですから、ひらがなばかりのところで、若干位置が違っていても予測した言葉が来ると認識してしまうから読めるのだと思います。そのときに一番注目しているのが最初と最後のひらがななんだと。
英語の場合はもともと分かち書きされています。英語でもそれが可能だということは、人間は文章を読むときにパターン認識をしているんだということなんでしょう。ひょっとしたら、情報理論における誤り訂正理論にも関係してくるのかも知れません。
このあたりは単語の長さと正しい単語と間違った単語との距離に着目して研究すると認知心理学的に面白いものが出るのかも知れません。

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